想い
Thought
作陶家 : 辻拓眞
聡窯(そうよう)の4代目継承者として代々辻家に受継がれる日本・世界の情景を描く陶額作品を製作しながらも、独自の新しい技法にも日々挑戦されている辻拓眞さんは、どのような想いで作品と向き合っているのでしょうか、お話しを伺いました。
— 辻さんのものづくりへの想いを教えてください。
“素材との対話”を大切にしています。ものづくりを進める中で、素材と技法との相性がよくない、など、作陶は素材と闘わなければいけない時があり、その立ち向かった先に、見たことがないものが生まれるのだと思っています。また、有田焼という確立されたスタイルに捕らわれることなく、新しい技法やアプローチにも挑戦しています。作品を窯から出す時は緊張しますが、時折、想像を超える作品も誕生するため、楽しみながら励んでいます。
油絵をやっていたこともあり、辻家に受継がれる日本・世界の情景を描く陶額製作はとても好きです。抽象画というよりは、想いでの風景など、色褪せない情景を陶板に残したいと思い描いています。絵が上手になれば陶板も上手にとはいかず、素材同士の関係性みたいなものが大切で、日々探りながら陶板に向き合っています。
写真:陶額「鞆の浦遠望」
有田焼の伝統もしかり、確立された正解からまた違う正解を見つけるという作業に可能性を感じています。例えば、このオブジェですが、大きい作品を轆轤以外の方法でつくることはできないかと考えた時、陶板を組み上げるという建築的なアプローチを思いつき、内部構造など色々試行錯誤した結果、完成することができました。また、有田焼は、一つひとつの工程の難易度が高いため、職人による分業が一般的であり、産業的・量産的なイメージが強いかと思いますが、実は、このオブジェのように、作家的なものづくりをされる作陶家も有田には大勢いらっしゃいます。
写真:オブジェ「築 -kizuku- 」※非売品
Photo by Seitaro IKI
―現在、力を入れている作品はどのようなものですか。
これまで、大きいオブジェは陶板を使い表現していましたが、捉え方を変え、現在は緻密で手に収まる小さいサイズのオブジェを製作しています。焼き物の魅力のひとつに、劣化しない“素材の力”があります。茶道具の抹茶碗が、数百年を経た現在でも形を残し、今もなお大切にされている。それは宝石やラグジュアリー(高級品)の世界と似ていて、僕も手に収まる美しいもの、そして大切にされるものをつくりたいと思っています。僕のステンドグラスをモチーフにした作品は、宝石のような輝きを放ち、たまに取り出しては眺めたくなる、そう思って頂ける作品を目指し製作しています。
写真:切継技法により製作(一度形成した器を切って解体し、また組み上げ繋ぎ直し形成)。継目に銀彩を施すことで、宝石のような複雑な光沢感が生まれる。
―今後つくりたい作品はどのようなものですか。
紅茶やコーヒーなどティーパーティで使えるカップに興味があります。近年はコロナ禍ということもあり、お一人様の時間として使うことが多かったと思いますが、これからは人とのコミュニケーションを楽しみたいとの思いからティーパーティやお茶会などが増えてくるのではと思っています。持っているだけで気分が上り、人に見せたくなる。そして、カップを通してコミュニケーションが盛り上がる、そんな作品をつくりたいと思っています。
―辻さんにとっての有田焼への想いとは
積み重ねられた有田焼の歴史に誇りを持っていますし、4代続いている我が家にも誇りを持っています。有田焼は自分自身の主軸であり、有田焼の歴史からヒントを得て作陶に励んでいます。辻家のルーツを辿ると祖父は*香蘭社の図案部で活躍しており、そのとき指導を受けた師匠は京都の方でした。有田焼は有田だけで成熟したのではなく、他の地域からも影響を受け今があるのだと思います。石川県の九谷焼は色鮮やかな上絵付けという特徴を残しつつも、様々な取組みを展開しています。有田焼も、もっとアメーバのように形を変えながら様々なものを取り込んでいっても良いと思います。有田は伝統のある町で、皆、有田を愛しています。僕も勿論愛しつつ、他の産地の良いところも取り入れながら作陶し続けていきたいと思っています。
*香蘭社…明治期に深川栄左衛門によっていち早く有田焼の新たな用途開発と輸出に乗り出し、業界を牽引してきた創業130年の陶磁器メーカー。
有田焼の歴史
History
有田焼は色とりどりの絵具で彩色された日本を代表する磁器です。その歴史は古く、今か ら400年前まで遡ります。豊臣秀吉による*文禄・慶長の役で佐賀藩 鍋島直茂が連れ帰っ た陶工、李参平(日本名:金ケ江三兵衛)が1616年、有田泉山(ありたいずみやま)に磁 器原料となる良質な陶石を発見したのが有田焼の始まりとされています。
有田焼の特徴は、透き通るように白い磁肌に呉須(ごす)と呼ばれる藍色の顔料で描いた 染付(そめつけ)や色絵(いろえ)と呼ばれる上絵付け(うわえつけ)を用いた華やかな 彩色が特徴。耐久性が高く、美術品から日用品まで様々なものが生産されました。“上絵 付け”とは、釉薬をかけて焼成した磁器の表面に絵柄を施すことで、釉薬をかける前に絵 柄を施す“下絵付け”に対して、釉薬の層の上から描くため“上絵”と言われます。また、“下 絵付け”は藍色の呉須で描かれるのに対し、“上絵付け”は多彩な色で描かれます。
長い歴史の中で完成された有田焼は、一般的に「古伊万里様式」「柿右衛門様式」「鍋島 藩窯様式」の三様式に分けられます。
「古伊万里様式」
肥前有田で江戸時代に生産された、濃い染付と金襴手(きんらんで)と呼ばれる赤や金の 絵具を贅沢に使った様式のことです。当時、これらの磁器は有田に隣接する伊万里の港か ら船積みされたことによりこの名が付けられました。 金襴手とは、色絵の磁器の上に金泥 や金粉をあしらった金彩を施し、絢爛豪華に模様を描いたものです。
「柿右衛門様式」
濁し手(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地に描かれた赤・青・緑・黄などの鮮やかな彩 色を施した、「赤絵」と呼ばれる上絵付けの色絵が特徴です。ふんだんに余白をとる構図 から「余白の美」とも称されました。柿右衛門様式の器は輸出用色絵磁器として飛躍的に 発展し、数多くの作品がヨーロッパに渡り、ドイツのマイセン窯などでは、模倣品もたく さん作られました。
「鍋島藩窯様式」
青みがかった地肌や櫛高台、裏文様に特徴があります。 その技法は、染付と赤・青・緑の 三色を基調とした「色鍋島」、藍色で精緻に描かれた「藍鍋島」、自然の青翠色の「鍋島 青磁」があります。 なかでも上絵を伴った「色鍋島」は佐賀藩主が使う食器や、諸大名・ 幕府への献上品として使われました。藩窯であったからこそ実現した類まれなる様式美と 言え、当時の技術の粋を集めた色鍋島は、柿右衛門様式と並び、有田を代表する美を誇っ ています。
伊万里焼と有田焼の違いですが、佐賀県有田町周辺でつくられる磁器のことを有田焼とい います。江戸時代、有田で焼かれた磁器は、有田のお隣、伊万里(伊万里市)の港から輸 出されていたため、伊万里焼という名で全国に普及しました(伊万里焼=有田焼)。その 後、明治時代以降になると、有田で作られた磁器は生産地の名前をとって、有田焼と呼ば れるようになります。また、骨董品などでよく耳にする“古伊万里”は江戸時代につくられ た有田焼のことを指し、現在は伊万里市の大川内山でつくられたものを伊万里焼といいます。
現在の有田の町には、多くの窯元が点在し、また次の時代の陶工を育てようと、窯業大学 校という焼き物を習う専門学校までそろっています。また、有田泉山(佐賀県有田町泉 山)での採掘は殆どなくなり、より使いやすい熊本県は天草陶石が主流となっています。
※文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき) 文禄元年(1592年)から慶長三年(1598年)の6年間にかけ、豊臣秀吉が明国(現在の中 国)征服をめざして朝鮮(現在の韓国、北朝鮮)に侵略した戦争。最初の1回目の戦いを 「文禄の役」(1592~1593)、2回目の戦いを「慶長の役」(1597~1598)と呼びます。 1959年、豊臣秀吉の死で戦いは幕を下ろします。
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