澤 克典|Katsunori SAWA

陶歴

Profile

1980年 滋賀県甲賀市信楽町に生まれる
2002年 滋賀県立窯業試験場修了、鈴木五郎氏に師事
2005年 滋賀県信楽町にて独立
2006年 信楽 ギャラリー陶園にて初個展

以後、日本橋三越本店(東京)、東武百貨店(東京)、横浜髙島屋(神奈川)、松坂屋名古屋店(愛知)、阪急うめだ本店(大阪)、京都髙島屋(京都)、大丸神戸店(兵庫)、福岡三越(福岡)、銀座黒田陶苑(東京)、などの百貨店やギャラリーなどで個展開催。

Gallery

信楽焼,澤克典,滋賀県,甲賀,積翠窯,陶器,shigarakiw,ware,katsunorisawa,pottery積翠窯の穴窯

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信楽焼の魅力について

ざっくりとした土味を活かし、釉薬を使わずに焼き上げる焼き締めの器は、独特な風合いが美しく今も高い評価を受けています。また作陶家の技術は勿論ですが、窯の炎が生み出す自然美にも魅了されます。薪の灰が溶けて発色する「自然釉(ビードロ釉)」や薪の炎によって表情が変化する「窯変(ようへん)」は信楽焼の見所と言えます。「窯変」にも種類があり、土に含まれた小さな石の周りに亀裂が生じる「石爆(いしはぜ)」や土の成分が長時間に及ぶ焼成により蟹(かに)の目のように白いガラス状の粒となって表面に現れる「蟹(かに)の目」、土に含む鉄分が炎により赤茶色に変化する「緋色(ひいろ)」など様々な景色を愉しむことができます。景色は、窯焚き・窯詰め・土・造形など様々な条件の違いによって変わってきます。気候(気温、気圧、湿度)なども大きな要素と考えられ、景色に影響を与えます。同じものは二つとできないと言われる所以でもあり、最大の醍醐味とも言えます。

 信楽焼,澤克典,滋賀県,甲賀,積翠窯,陶器,自然釉,ビードロ,shigarakiw,ware,katsunorisawa,pottery信楽焼(澤克典 作「信楽ぐい吞」)

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信楽焼は琵琶湖の恵みから生まれた産地

滋賀県の南、三重県との県境に位置する滋賀県甲賀市信楽町。400万年前から40万年にかけて琵琶湖が移動し、堆積した良質な粘土、古琵琶湖の上に、信楽焼の産地はあります。古琵琶湖から採取される土は耐久性が高く質が良いことで有名です。薪窯による焼成で得られる温かみのある緋色(ひいろ)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特徴があり、素地肌の明るさも際立っています。信楽の土は、その風合いと素朴さに魅力があり、茶陶信楽として千利休ら古の茶人にも愛され珍重されてきました。土と炎が織り成す芸術として“詫び寂び”の世界を今に伝えています。

 

澤さんの織部の作品について

澤さんは、織部焼・瀬戸焼を中心に作陶されていた鈴木五郎氏(愛知県出身)に師事していたこともあり、織部焼の作品もつくられています。ここで少し、織部焼についての説明を記載しておきます。

織部焼(おりべやき)とは

織部焼は、桃山時代(16世紀)に美濃地方(岐阜県)で作られたやきものの一つで、その名は戦国武将にして茶人である古田織部(ふるたおりべ)に由来すると言われています。師と仰いだ千利休の「詫び寂び」の美意識とは対照的な「破調の美」とも言われる織部様式は、その後の日本文化史に大きな影響を与えました。

織部焼の見どころは、何と言っても「造形」と「文様」です。

斬新かつユニークな造形は、歪んだフォルムや左右非対称のバランスが絶妙で、遊び心あふれる『歪み』の美とも言えます。また、抽象的な図形や大胆にデフォルメされた文様も特徴で、器に流し掛けられた緑の釉薬と相まって、まるで現代の抽象絵画を見るかのようです。安土桃山時代は海外との貿易が盛んに行われた時代でもあり、色鮮やかな輸入品が人々の目を楽しませていた時代でもあったため、従来の茶碗とは全く違うファッショナブルな織部焼は「粋」な人々に愛されたようです。

多彩な表情をみせる織部には、いくつかの様式があります。器全体に織部釉(緑釉)が施されているものは「総織部」と呼ばれ、器の一部に織部釉が施され、余白に鉄絵が描かれているものは「青織部」と呼ばれ親しまれています。その他に、白土と赤土を組み合わせた素地に白化粧と鉄絵などで絵付けを施した「鳴海織部」や、美濃の弥七田古窯(やしちだこがま)で焼かれていたことからその名がついた「弥七田織部(やしちだおりべ)」は、ユニークで軽妙な鉄絵と散らした織部釉が特徴です。

信楽焼,澤克典,滋賀県,甲賀,積翠窯,陶器,弥七田,織部,ぐい吞,酒器,shigaraki,ware,katsunorisawa,pottery,sakecup,guinomi澤克典 作「弥七田織部ぐい吞」

信楽焼,澤克典,滋賀県,甲賀,積翠窯,陶器, 弥七田,織部,珈琲碗,コーヒーカップ,shigarakiw,ware,katsunorisawa,pottery,oribe,coffeecup澤克典 作「弥七田織部コーヒー碗」

信楽焼,澤克典,滋賀県,甲賀,積翠窯,陶器,織部,飯碗,鉢,bowl,shigarakiw,ware,katsunorisawa,pottery,oribe,coffeecup澤克典 作「織部鉢」

信楽焼の歴史と今

滋賀県甲賀郡で生産される信楽焼は、鎌倉時代半ば(13世紀頃)に誕生したと言われています。愛知県は常滑焼(とこなめやき)の流れをくむ信楽焼は、*六古窯(ろっこよう)の中で一番最後に誕生した産地であり、他の六古窯と同じく、甕(かめ)や壺(つぼ)、すり鉢などの日用品を主に生産していました。信楽焼は、独自の荒々しい土と薪の灰による自然釉の美しさで知られ、特に薪の灰が炎により溶け、深い緑色をしたビードロ釉は多くの焼き物ファンを虜にしています。

信楽は大坂、京都という大消費地の近くに立地しています。誕生当初の信楽焼の流通範囲は、さほど広くはありませんでしたが、15世紀後半から京都を中心に流通を拡大させました。信楽焼が茶の湯の道具として用いられるようになると、とりわけ奈良・堺(大阪)・京都などの茶人が愛好します。江戸時代には徳川将軍家への献上茶を詰める茶壺(ちゃつぼ)をはじめ、小物類の陶器生産がはじまり、特に江戸城下へ大量に焼き物を供給していきます。

信楽は焼き物だけでなく、お茶の産地でもあります。15世紀初頭には、信楽の壺が茶葉詰めの容器に用いられます。16世紀には、中国やヨーロッパなどからの輸入品と並び高い評価を受けます。15世紀後半には、茶入・水指・花入など新しい形状の茶陶が茶人たちの注文によって信楽で製作され、新たなる創造の時代がはじまります。江戸時代には、将軍に献上する茶を入れる御用茶壺の生産がはじまり、江戸時代後期になると茶の湯の流行を背景に、釉薬を施した陶器の茶道具が製作されました。信楽の焼き物は茶の湯とともに発展していきます。

また、信楽焼の代名詞ともいえる「タヌキの置物」が誕生したのは昭和前期。もともとタヌキ作り専門の陶工がいたこともありますが、昭和天皇の信楽訪問時に、主力製品である火鉢を積み上げてアーチをつくり、日の丸の旗を持たせた信楽タヌキを並べ出迎えました。それを見た昭和天皇は喜ばれ、この時の報道をきっかけに、信楽焼のタヌキが全国の注目を集め人気に火が付いたと言われています。縁起物として喜ばれ、タヌキが「他を抜く」に通じることから商売繁盛として店の軒先に置かれることが多いです。

現在も信楽焼はその歴史と伝統を受け継ぎながら、新しいアイディアや技術を取り入れ、国内外で多くの人々に愛されています。信楽焼の美しさと機能性は、その豊かな歴史から生まれたものであり、日本の陶芸文化において重要な位置を占めています。

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信楽焼,澤克典,滋賀県,甲賀,積翠窯,陶器,狸,shigaraki,ware,katsunorisawa,pottery,oribe信楽焼のタヌキの置物

日本六古窯,マップ

 

※日本六古窯(にほんろっこよう)

日本古来の陶磁器窯のうち、中世(平安時代後期)から現在まで生産が続く代表的な6つの窯の総称。

兵庫県:丹波焼(たんばやき)、愛知県:瀬戸焼(せとやき)・愛知県:常滑焼(とこなめやき)・滋賀県:信楽焼(しがらきやき)・岡山県:備前焼(びぜんやき)・福井県:越前焼(えちぜんやき)

 

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