In blue 暁 | in blue AKATSUKI

百田 暁生 | Akio MOMOTA

陶歴

Profile

1971年 佐賀県有田町にて生まれる
1991年 副島四郎先生に師事
1994年 奥川俊右衛門先生に師事
1995年 独立
2015年 新工房・ギャラリー設立 in blue 暁

主な入賞・入選歴
・日本伝統工芸展
・智美術館「茶の湯の現代ー用と形ー」展
・日本陶芸展
・現代茶陶展
・田部美術館「茶の湯の造形展」
・有田国際陶磁器展

想い

Thought

作陶家 : 百田暁生

唯一無二の世界観を持つ百田暁生さん。静かなる美しさと、上品で洗練された作品を創られる百田さんは、どのような想いで作品と向き合っているのか、お話しを伺いました。

 

— 百田さんのものづくりへの想いを教えてください。

作陶を始めた20歳頃からこれまで、自分の想いや表現を通じて“自分にしかできないもの を作り上げよう”という気持ちで、作陶と向き合ってきました。 最初は想いだけで技術がついてきませんでしたが、ひたすら作って、失敗を繰り返し、よ うやく40歳を過ぎた頃から自分の目指す形に近づけられるようになりました。

自分にしか出来ないものを追求していると、年代によって形が変わり、釉薬も淡いブルーをずっと追求していましたが、そこから色んな釉薬が増えていきました。釉薬が増えてくると、「こういう形に、こういう釉薬を流してみたい」という想いも出てきます。そうして形も釉薬も成長していきました。 

僕は、“匠の人”というイメージでひとつのことをずっと追求するのは苦手なんです。やりたがりで常に挑戦したい性格、それは欠点かもしれませんが、表現したいという気持ちの強さに繋っているように思えます。

―百田さんの作品に影響している人や物があれば教えてください。

空や土、植物など自然からインスピレーションを受けています。自然の美しさにはかないません。僕の作品も一点物で、同じものがないように、自然も毎日変わります。そういう意味でも“自然”に一番影響を受けていますね。

―現在、力を入れている作品はどのようなものですか。

大物だとオブジェです。シンプルに白磁の形で表現したり、そこに釉薬を重ねていって、 釉薬と形、両方で表現したりしています。器も作品として、一点一点追求して製作していこうと思っています。

―今後つくりたい作品はどのようなものですか。

より1点物を追求していきたいと思っています。やりたいことは、始めた頃から今でも変 わっていないかもしれないですね。レベルをあげていく作業をずっと続けています。 最初の形に挑戦する時は割れたり失敗が多く時間がかかるので、本当にメンタルを鍛えら れますよ()。でも、めげずにどんどん挑戦していきたいと思っています。

―百田さんにとっての有田焼とは

有田焼は、沢山の人の技術がつまった最高の作品といったイメージです。土づくりの職人 もいらっしゃれば、絵を描く職人、轆轤を回す職人など、それぞれの最高のスペシャリス トがひとつの作品に技術をしっかり注ぎ込んで完成する。それが有田焼の良さだと思います。

有田焼の歴史

History

有田焼は色とりどりの絵具で彩色された日本を代表する磁器です。その歴史は古く、今か ら400年前まで遡ります。豊臣秀吉による*文禄・慶長の役で佐賀藩 鍋島直茂が連れ帰っ た陶工、李参平(日本名:金ケ江三兵衛)が1616年、有田泉山(ありたいずみやま)に磁 器原料となる良質な陶石を発見したのが有田焼の始まりとされています。

有田焼の特徴は、透き通るように白い磁肌に呉須(ごす)と呼ばれる藍色の顔料で描いた 染付(そめつけ)や色絵(いろえ)と呼ばれる上絵付け(うわえつけ)を用いた華やかな 彩色が特徴。耐久性が高く、美術品から日用品まで様々なものが生産されました。“上絵 付け”とは、釉薬をかけて焼成した磁器の表面に絵柄を施すことで、釉薬をかける前に絵 柄を施す“下絵付け”に対して、釉薬の層の上から描くため“上絵”と言われます。また、“下 絵付け”は藍色の呉須で描かれるのに対し、“上絵付け”は多彩な色で描かれます。

長い歴史の中で完成された有田焼は、一般的に「古伊万里様式」「柿右衛門様式」「鍋島 藩窯様式」の三様式に分けられます。

 

「古伊万里様式」

肥前有田で江戸時代に生産された、濃い染付と金襴手(きんらんで)と呼ばれる赤や金の 絵具を贅沢に使った様式のことです。当時、これらの磁器は有田に隣接する伊万里の港か ら船積みされたことによりこの名が付けられました。 金襴手とは、色絵の磁器の上に金泥 や金粉をあしらった金彩を施し、絢爛豪華に模様を描いたものです。

「柿右衛門様式」

濁し手(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地に描かれた赤・青・緑・黄などの鮮やかな彩 色を施した、「赤絵」と呼ばれる上絵付けの色絵が特徴です。ふんだんに余白をとる構図 から「余白の美」とも称されました。柿右衛門様式の器は輸出用色絵磁器として飛躍的に 発展し、数多くの作品がヨーロッパに渡り、ドイツのマイセン窯などでは、模倣品もたく さん作られました。

「鍋島藩窯様式」

青みがかった地肌や櫛高台、裏文様に特徴があります。 その技法は、染付と赤・青・緑の 三色を基調とした「色鍋島」、藍色で精緻に描かれた「藍鍋島」、自然の青翠色の「鍋島 青磁」があります。 なかでも上絵を伴った「色鍋島」は佐賀藩主が使う食器や、諸大名・ 幕府への献上品として使われました。藩窯であったからこそ実現した類まれなる様式美と 言え、当時の技術の粋を集めた色鍋島は、柿右衛門様式と並び、有田を代表する美を誇っ ています。

 

伊万里焼と有田焼の違いですが、佐賀県有田町周辺でつくられる磁器のことを有田焼とい います。江戸時代、有田で焼かれた磁器は、有田のお隣、伊万里(伊万里市)の港から輸 出されていたため、伊万里焼という名で全国に普及しました(伊万里焼=有田焼)。その 後、明治時代以降になると、有田で作られた磁器は生産地の名前をとって、有田焼と呼ば れるようになります。また、骨董品などでよく耳にする“古伊万里”は江戸時代につくられ た有田焼のことを指し、現在は伊万里市の大川内山でつくられたものを伊万里焼といいます。

現在の有田の町には、多くの窯元が点在し、また次の時代の陶工を育てようと、窯業大学 校という焼き物を習う専門学校までそろっています。また、有田泉山(佐賀県有田町泉 山)での採掘は殆どなくなり、より使いやすい熊本県は天草陶石が主流となっています。

 

※文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき) 文禄元年(1592年)から慶長三年(1598年)の6年間にかけ、豊臣秀吉が明国(現在の中 国)征服をめざして朝鮮(現在の韓国、北朝鮮)に侵略した戦争。最初の1回目の戦いを 「文禄の役」(1592~1593)、2回目の戦いを「慶長の役」(1597~1598)と呼びます。 1959年、豊臣秀吉の死で戦いは幕を下ろします。

プロ用の器

Custom made

ご使用頂いている飲食店のご紹介(一部紹介)

レストラン「草庵 鍋島」(御宿富久千代)
https://fukuchiyo.com/
佐賀県鹿島市浜町乙 2420番地1
あん梅
https://takeo-anbai.jp/
佐賀県武雄市武雄町大字富岡 7751-31
奈良屋町 青(アオ)
https://narayamachiao.com/
福岡県福岡市博多区奈良屋町 4-11-3

 

焼鳥 森本
https://www.instagram.com/yakitori_morimoto/
福岡県福岡市中央区春吉 3-11-19 パノラマスクエア博多2F
茶凡 Sabon
https://sa-bon.net/
福岡県みやま市瀬高町大草 1773-2
坂口家 うまづら
https://www.instagram.com/umazura_sakaguchike/
福岡県飯塚市飯塚 4-9
飲食店様の器、承ります。
取り皿や鉢・陶板など数量に係わらずセミオーダーからフルオーダーまで幅広く承ります。ご提案から納品まで責任を持って対応させて頂きますので、お気軽にお問合せ下さい。
※一般のお客様のご注文も承っております
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