想い
Thought
作陶家 : 井上祐希
人間国宝の祖父を持つ井上祐希さん。伝統技術を継承しながらも、独自のスタイルを開拓し続けている井上祐希さんは、どのような想いで作品と向き合っているのか、お話しを伺いました。
— 井上さんのものづくりへの想いを教えてください。
器など、日常で使うものに関しては、 “持ちやすさ”や“飲みやすさ”など、使う人のことを一番に考えて製作しています。極力お客様に寄り添うことを心がけながら、自分の色も表現したい。丁度良いバランスを考えて作っています。“自分らしさ”はまだ模索中といった段階ですが、少しずつ自分のスタイルは出来ていると思っています。
―井上さんの作品に影響している人や物があれば教えてください。
例えば、「釉摘(ゆうてき)」の作品ですと、絵画やアートで表現されるペンキのしぶきや、書道の墨、街のグラフィティで使われるスプレー痕などに影響を受けました。そういった偶発的でライブ感のある表情が好きだったので、取り入れています。釉薬の上に釉薬を重ねることで立体感や奥行を出しています。
「われもの注意」の作品は、出荷する際に段ボールに貼る“割れ物注意”からインスピレーションを受けています。このシールは焼き物を作っている者としてはすごく身近で、また、そのメッセージ性の強さはずっと気になる存在だったんです。割れ物注意なのは中に入っている器のことで、その器とシールを共存させたら面白いのではと思い、作品にしました。その強いメッセージと共に、器をより大切に使ってもらいたいという想いもあります。タグやグラフィティのカルチャーが好きな方にも気に入ってもらっています。
―現在、力を入れている作品はどのようなものですか。
最近は、焼き物で“文字”を作っています。文字は普通、平面ですよね。文字を焼き物にすると立体となり質量が生まれます。触れない“文字”に焼き物の“質量”を加えたら、“文字が触れるようになる”という感覚も面白いと思ったんです。
大切に扱わなければならない“割れ物”である焼き物で、大切にしたい文字、例えば、“寿”や“祝”のような縁起の良い言葉、子供の名前や企業のロゴなど、“壊したくないもの”をモチーフに作っていこうと思い立ちました。触ると愛着も沸くので、尚の事大事にしますよね。
このように、アート寄りのものも作りたいと思っています。僕は陶芸家というよりは、身の周りの環境と身近にある素材でただ遊びたいというスタンスです。技術は受け継ぎながらも、色んな楽しいことをやっていきたいですね。
同じものばかりではお客様も飽きてしまいますし、自分自身、面白いことを考えるのが好きです。アイディアが色々浮かんできて眠れないときもあります(笑)。でも楽しいですし、心が豊かになるんです。
そういった自分の活動を通じて、器好きの方だけではなく、アートが好きな方と繋がったり、アクセサリーを作ってファッションが好きな方と繋がったりと、色んな業種の方が有田の焼き物を好きになるキッカケになると嬉しいです。
―今後つくりたい作品はどのようなものですか。
1つは、現在力を入れている“壊したくないもの”とは逆に、“壊れてほしいもの”を作りたいと思っています。例えば、戦争・武器・危険な薬など、なくなってほしいものを壊した状態で展示したいと考えています。
もう1つは、道路に立っているポールを作ろうとしています。
中に花を生けられるようにして、沢山並べたり、その横に焼き物を並べたりすると、インスタレーションにも使えるかなと思っています。普通、焼き物は屋内にあるものだから、外にあるものを屋内に持ってきたら違和感が出て面白いのではないかと。色もオリジナルを見せていこうと、色々試しているところです。
―井上さんにとっての有田焼の想いはありますか。
自分自身、有田焼のお陰で色んな人に出会うことができ、色んな経験をさせて頂いていますので、恩返しをしたいと思っています。有田焼の伝統は決して絶やしてはいけないものだとわかっていても、実の所、どうしていいかわからないのが本音です。
ただ、自分が楽しく活動していることで、「自分もやりたい」と思う人が現れたら良いなと思っています。「有田焼って自由で良いんだ。」と感じて、興味を持ってくれる人が増えることで、後継者不足にも貢献していけたらと思っています。
1人でも多くの方に触れていただきたいので、轆轤体験も実施しています。そういった活動も、すぐに結果はでないかもしれませんが、続けていくことが大事だと思っています。
有田焼の歴史
History
有田焼は色とりどりの絵具で彩色された日本を代表する磁器です。その歴史は古く、今か ら400年前まで遡ります。豊臣秀吉による*文禄・慶長の役で佐賀藩 鍋島直茂が連れ帰っ た陶工、李参平(日本名:金ケ江三兵衛)が1616年、有田泉山(ありたいずみやま)に磁 器原料となる良質な陶石を発見したのが有田焼の始まりとされています。
有田焼の特徴は、透き通るように白い磁肌に呉須(ごす)と呼ばれる藍色の顔料で描いた 染付(そめつけ)や色絵(いろえ)と呼ばれる上絵付け(うわえつけ)を用いた華やかな 彩色が特徴。耐久性が高く、美術品から日用品まで様々なものが生産されました。“上絵 付け”とは、釉薬をかけて焼成した磁器の表面に絵柄を施すことで、釉薬をかける前に絵 柄を施す“下絵付け”に対して、釉薬の層の上から描くため“上絵”と言われます。また、“下 絵付け”は藍色の呉須で描かれるのに対し、“上絵付け”は多彩な色で描かれます。
長い歴史の中で完成された有田焼は、一般的に「古伊万里様式」「柿右衛門様式」「鍋島 藩窯様式」の三様式に分けられます。
「古伊万里様式」
肥前有田で江戸時代に生産された、濃い染付と金襴手(きんらんで)と呼ばれる赤や金の 絵具を贅沢に使った様式のことです。当時、これらの磁器は有田に隣接する伊万里の港か ら船積みされたことによりこの名が付けられました。 金襴手とは、色絵の磁器の上に金泥 や金粉をあしらった金彩を施し、絢爛豪華に模様を描いたものです。
「柿右衛門様式」
濁し手(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地に描かれた赤・青・緑・黄などの鮮やかな彩 色を施した、「赤絵」と呼ばれる上絵付けの色絵が特徴です。ふんだんに余白をとる構図 から「余白の美」とも称されました。柿右衛門様式の器は輸出用色絵磁器として飛躍的に 発展し、数多くの作品がヨーロッパに渡り、ドイツのマイセン窯などでは、模倣品もたく さん作られました。
「鍋島藩窯様式」
青みがかった地肌や櫛高台、裏文様に特徴があります。 その技法は、染付と赤・青・緑の 三色を基調とした「色鍋島」、藍色で精緻に描かれた「藍鍋島」、自然の青翠色の「鍋島 青磁」があります。 なかでも上絵を伴った「色鍋島」は佐賀藩主が使う食器や、諸大名・ 幕府への献上品として使われました。藩窯であったからこそ実現した類まれなる様式美と 言え、当時の技術の粋を集めた色鍋島は、柿右衛門様式と並び、有田を代表する美を誇っ ています。
伊万里焼と有田焼の違いですが、佐賀県有田町周辺でつくられる磁器のことを有田焼とい います。江戸時代、有田で焼かれた磁器は、有田のお隣、伊万里(伊万里市)の港から輸 出されていたため、伊万里焼という名で全国に普及しました(伊万里焼=有田焼)。その 後、明治時代以降になると、有田で作られた磁器は生産地の名前をとって、有田焼と呼ば れるようになります。また、骨董品などでよく耳にする“古伊万里”は江戸時代につくられ た有田焼のことを指し、現在は伊万里市の大川内山でつくられたものを伊万里焼といいます。
現在の有田の町には、多くの窯元が点在し、また次の時代の陶工を育てようと、窯業大学 校という焼き物を習う専門学校までそろっています。また、有田泉山(佐賀県有田町泉 山)での採掘は殆どなくなり、より使いやすい熊本県は天草陶石が主流となっています。
※文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき) 文禄元年(1592年)から慶長三年(1598年)の6年間にかけ、豊臣秀吉が明国(現在の中 国)征服をめざして朝鮮(現在の韓国、北朝鮮)に侵略した戦争。最初の1回目の戦いを 「文禄の役」(1592~1593)、2回目の戦いを「慶長の役」(1597~1598)と呼びます。 1959年、豊臣秀吉の死で戦いは幕を下ろします。
プロ用の器
Custom made
ご使用頂いている飲食店のご紹介(一部紹介)
レストラン「草庵 鍋島」(御宿富久千代) 佐賀県鹿島市浜町乙 2420番地1 |
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LIB COFFEE IMARI 佐賀県伊万里市伊万里町乙180 |
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さがん 大地 https://www.instagram.com/sagan_daichi/ 佐賀県佐賀市唐人1-7-10 |
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武雄温泉 湯元荘 東洋館 佐賀県武雄市武雄町武雄7408(温泉通り) |
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SHIROUZU COFFEE https://www.shirouzucoffee.com/ 福岡県福岡市中央区警固2-15-10 |
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Yama(山) 東京都港区白金 6-16-41 1F |
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鮨 あお 東京都港区北青山 3-10-13 FPG links OMOTESANDO B棟2F |
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立ち喰い梅干し屋 東京都墨田区押上 1-1-2 東京ソラマチ4階 |
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山菜料理出羽屋 山形県西村山郡西川町大字間沢58 |
※一般のお客様のご注文も承っております