想い
Thought
作陶家・髙取春慶氏
髙取焼宗家十三代八山の長男として生まれ、福岡県髙取焼直系の窯元髙取焼宗家の後継者である髙取春慶(十四代継承者)さんは、どのような想いで作品と向き合っているのか、お話しを伺いました。
— 髙取さんのものづくりへの想いを教えてください。
幼少の頃より陶芸は当たり前のように存在していたので、変な障壁は特になく、陶芸の道へは割とすんなり入った気がします。昔を振り返ると釉薬や土を作っている父の姿を見ながら、我が家はすごいことやっているんだなぁと、第三者的視点で家業を見ていました。本格的に陶芸を意識し出したのは高校の頃、「実家を継いで欲しい」という父の言葉がキッカケでした。短大に進む際は、視野を広げるため、あえて違うジャンルの金属工芸を専攻し、アクセサリーなどを製作していました。卒業後に陶芸を始めましたが、髙取焼は普通の陶芸家とは違い、茶道との関わり合いが強いため、お眼鏡にかなう作品を創れるだろうか?と、プレッシャーに感じていました。今は、先代が繋いできた一子相伝の技術、伝統をしっかり守っていこうという想いで日々作陶に励んでいます。
— 最近はどのような作品を創られているのですか?
最近は伝統的な作品と並行して、金色の釉薬や金彩を使った作品を創っています。金属系の光沢が好きで、金属工芸を学んでいたということもあり、新しい色彩にもチャレンジしています。自分の生きてきた人生を器に表現したいという想いは前々からあり、この1・2年でようやく作りたい色が出来てきました。従来の髙取焼の釉薬とは違いますが、薄造りで、轆轤の技術は継承しています。釉薬のかけ方を工夫したりと、新しい表現方法も試しているところです。私自身が常にワクワクするような挑戦をしていかないと陶芸を続けるのは難しいと思っています。“春慶”という釉薬は、自身で作ったオリジナルの釉薬です。髙取焼の釉薬は長石と錆と藁灰と木灰、この4つの原料の割合を変えて調合したものが基本となります。あとは採ってくる場所です。どこの長石を使うかでちょっとずつ色合いが変化します。近年、原料が採れる場所が少なくなり、先人達の色彩を再現できないことが増えてきたように感じます。そういう意味でも、自身の色のバリエーションを増やしたいと思っています。— 工房があるこの場所、地域の魅力を教えてください。
初代は福岡県直方市に窯がありましたが、そこから飯塚市に移り、2代目の頃、今の福岡県朝倉郡小石原に移ってきました。小石原の土は、粘りがあり、薄造りに向いている土です。直方の時代は織部好みの作風が多く、粗土のものが多いですが、小石原に移ってきた頃は、遠州※1の時代になっていますので、“綺麗さび”ということで、丹精で洗練された器になり、“薄造り”がひとつの特徴になりました。そういった点で小石原は土が良く、川があるので、唐臼※2も使えます。傾斜があるので登り窯も作りやすく、窯を開くには非常に適した場所でした。※1 小堀遠州(こぼりえんしゅう)
戦国時代から江戸時代の武将であり、徳川将軍の茶道指南役など茶人としても活躍、
「綺麗さび」と称される独自の美意識を髙取焼に伝え「遠州髙取」と呼ばれるようになる。
※2 唐臼(からうす)
川の流れを利用し、陶土を砕くための道具。
— 一子相伝の技術について教えてください。
轆轤の技術もありますが、1番は釉薬の調合です。釉薬は、初代から代々秘伝書として伝わっており、代を継ぐときにしか見せてもらえないので、実は私もまだ見たことはありません(笑)。釉薬自体も父が一人で作っています。下ごしらえは僕らがやりますが、割合や調合方法はわかりません。先代は釉薬の部屋でひとりこもって調合していたらしいですよ。弟子は外で聞き耳を立てながら推測し、技を盗んでいたようです。そのくらい釉薬の調合は貴重なのです。
— 日本の工芸品は地球に優しい“エシカル消費”として国内外から注目を集めていますが、具体的に取り組まれていることはありますか?
私たちがやっていることはずっとエシカルです。土づくりに関しても川の流れを活用し、唐臼で土を砕いて、こして、粘土を作る。自然以外のエネルギーは使いません。釉薬に関しても自分のところで田んぼを作り、藁を燃やして作っています。無駄のない生活ですし、資源を全部再利用しています。エシカルやSDGsといった言葉がでてくるようになって取り組んだのは、クラウドファンディングでの茅葺屋根修復プロジェクトです。古くなった茅から釉薬をつくり、返礼品としてご用意するプロジェクトだったのですが、みなさんに応援して頂き立派な茅葺屋根が完成しました。大変感謝しています。同時に、エシカル活動に関して注目が集まっていることを感じましたね。
— 今後、創っていきたい作品がありましたら教えてください。
髙取は2~3色釉薬を重ね合わせて景色を表現する焼き物ですが、髙取焼の伝統的な釉薬と自身で開発した現代的な釉薬を組み合わせて、新しい表現にチャレンジしたいと思っています。そこからまた思いがけない組み合わせが誕生すると思いますので、そうやって新しい景色の出し方には挑戦していきたいです。釉薬は本当に奥が深くて、例えばこの水指は、かけ分けのちょっとした隙間の部分に違う釉薬を軽くかけて、流しで景色を出してます。ちょっとした差ですが、自分の個性を表現したいと思って、従来あったかけ方に新しいワンポイントなかけ方をしています。表現方法はいろいろあるので、自分の中でひとつの技法としてどんどん取り組んでいって、安定したかけ方を自分の中で確立させていきたいと思っています。
釉薬を重ね合わせて綺麗な色を出す表現をしている人はあまりいません。重なった偶然性のある美しさって凄く良いんです。このバリエーションは自分の中で増やしていきたいと思っています。 “伝承”ではなく“伝統”なので、時代に合わせて変化していくものです。あまりわざとらしくならず、調和するような感じで、まだ実験中です。
髙取焼の歴史と今
History
髙取焼とは、福岡県朝倉郡東峰村で継承されている陶器であり、今から420年遡る戦国時代、現福岡県直方市にある鷹取山の麓に永満寺窯を築かせたのが始まりです。以降、黒田藩御用窯として多くの銘品が生み出されてきました。黒田藩御用窯であった髙取焼は藩主にのみ献上していた隠し窯、名器をひとつ焼き上げると残りは全て割捨てられるほど徹底した献上品造りを通していたため、一般の世の中に出回ることはありませんでした。江戸時代に入ると、徳川将軍の茶道指南役であった小堀遠州公より指導を受け『綺麗さび』と表現される潚酒で洗練された美意識を受け継ぎ『遠州髙取』と呼ばれるようになります。永い歴史と伝統によって培われた髙取焼の技術は「秘伝書」として残され、今もなお直径窯である髙取焼宗家に一子相伝によって受け継がれています。
髙取焼は陶器でありながら磁器のように薄く、それでいて軽く、丈夫な器です。また何よりも一子相伝で調合される釉薬(七色くすり)で表現される美しい色が特徴です。現在では茶陶器はもちろん、お皿やカップなども作陶されています。美しさのみならず高い技術が生み出す使い勝手の良い器を、ぜひ手にとってみてください。
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